«前の日記(2019年09月21日) 最新 次の日記(2020年07月31日)»

fkino diary


2020年01月01日 [長年日記]

_ 年頭にあたって 2020

平坦な大地にも、上り下りする峠がある。そのほとんどは、たんなる地形の変化であって、気候や言葉や生活様式が変わることはない。しかし、そうではない峠がある。本当の境界がある。とくに高くなるわけでもなく、目をひくわけでもない。たとえばブレンネル峠は、アルプスで最も低く最も緩やかだが、古くより地中海文化と北欧文化を分けてきた。

歴史にも境界がある。目立つこともないし、その時点では気づかれることもない。だが、ひとたびその境界を越えれば、社会的な風景と政治的な風景が変わり、気候が変わる。言葉が変わる。新しい現実が始まる。1965年から73年の間のどこかで、世界はそのような峠を越え、新しい次の世紀に入った。

— P F ドラッカー, 新しい現実, ダイヤモンド社.

西洋の歴史では、数百年に一度際立った転換が起こる。世界は歴史の境界を越える。社会は数十年をかけて次の新しい時代に備える。世界観を変え、価値観を変える。社会構造を変え、政治構造を変える。技術と芸術を変え、機関を変える。やがて50年後には新しい世界が生まれる。

われわれがこの転換期にあることは明らかである。もしこれまでの歴史どおりに動くならば、この転換は2010年ないし2020年まで続く。

— P F ドラッカー, ポスト資本主義社会, ダイヤモンド社.

ドラッカーは1989年に刊行された『新しい現実』および1993年に刊行された『ポスト資本主義社会』の中でこれらのように述べている。

そして、2020年。私たちは世界の歴史が峠を越えたことに次第に気づきつつある。

知識社会への転換期にあって、アジャイルムーブメントの出現と発展は必然であった。アジャイルムーブメントは20年に及ぼうという歴史の中で多くの技術的なイノベーションを生み出してきた。そして、この転換期の総仕上げとしてアジャイルムーブメントは社会的・経済的なイノベーションを生み出していくのである。

数百年に一度と言われる転換を峠を越えたところからふりかえり、私がこの20年あまりでやってきたことを知識社会への転換期という文脈の中で対象化し、アジャイルムーブメントがもたらす「新しい現実」を想像しながら、次の20年に思いを馳せている。そんなお正月でした。

2020年もよろしくお願いいたします。

2020-01-01 17.40.03-1